164.ウォークアバウトからの解放

15年位前に、今はなき新宿テアトルタイムズスクエアで、漠然と見たオーストラリアの映画がよかったような記憶がしていた 
なにより、タイトルがよかった 
ポスターやビジュアルもよかった
この5年ほど何度もTSUTAYAでパッケージは眼にしていたが、このたび遂に、おそるおそる、たまたま目覚めた土曜の明け方4時から見る 

案外、ピンとこない 
そして、一シーンたりとも見覚えがない

見終えて、ようやく、劇場で見たときも、ピンとこない、なぜ名作のように喧伝されるのか、と不可解に思っていたような記憶がもどってくる うすうす予想はしていたのだが、15年の時間をかけた、ひとりリバイバル。

いま見なければ若気の至りで触れたミステリアスのままだったのだが、はっきりした(しかも40才の分別臭い)意識で見てしまったのでものごとが明るみになる 
もはや朦朧は朦朧のままとっておきたかった気持ちもしている むかし名作を見た淡い幸福感として 
しかし、半年か一年に一度くらいのペースで思い出す「あのウォークアバウトって、どんな映画だったっのかな」、「もしやいま見ると人生に影響するようなものだったとしたら」という、のどにひっかかったままのことがらは、1つ減った

それだけの、インターナルな出来事の記録。
日々の時間と生活の中で、何度もの心持ちの往復(思い出しては消えて、またたまに思い出して気にして)、その、こころのやり取りを行い、
ついに、自分への影響は少ないものごとと、関係を取り結ぶ必要のないことであったと確認を得ることがきちんと行われる。そのあいだの加齢と、時の流れがあった記録。

ずっと気にしていた割には、6~7割がた予想していたように、この映画が、自分にとってそれほど大きなできごとにならなかったことを、こまかく記録することに精をだすという、本末転倒な行為。
「カルト的名作!」が、単に「名作!」とら言い切れない腰の弱さを持つことを既に知る40才と、他人にそう言われたら、そうかもしれない面白いと思わなければならないのか、と、よろめき、なびく、まだ目の養いきれていない25才(2004年)のわたし。
でも、そんな手当たり次第な頃もなつかしい。

5時半、妻が起きてくる 面倒な経緯は略して
さっき、夜中に映画見たよ、15年前にみたやつ 
ふーん

こうした微温的な出来事とは無関係に、今日10/14は4才の息子の運動会(雨だが、体育館で)

ニコラスローグ「美しき冒険旅行 ウォークアバウト」(1971)

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