155.ととかあさん

変化には痛みがともなう。

日曜午前11時50分、子どもと一緒にスーパーに出掛けた帰り道、くるまのハンドルを切った瞬間、ふと、そうしたフレーズが浮かびました。

私の母は、九州の女性でした。専業主婦です。
私の母は、子どもを育てていました。
私の母は、子どもが食べたそうな時、自分のおかずをくれました。
私の母は、子どもを叱りましたが、多くの場合、それは怒りではありませんでした。
私は母が若い頃、自分のしたいことをしているところを見たことがありませんでした。

私は、同じく九州の人間です。私は仕事をしています。
私は、父ですが、子どもを育てています。
私は、父ですが、子どもにおかずを差し出します。
私は、父ですが、子どもを叱ります。
私は、父ですが、近頃は、自分のしたいことが、子どもとしたいことになってきました。(以前は、もっと、自分の勝手がありました。)

私は、父です。
今年の四月から、母もやっています。

夕方、保育園に息子を迎えにいき、スーパーマーケットで食材を買い、夕御飯をつくり、一緒に食べています。食材は、バランスを考えます。価格も、なるべく押さえます。息子と一緒に作れるものも考えたりします。
オクラをゆでます。惣菜のメンチカツを一口大に切ります。親子丼にはニンジンを千切りにして混ぜます。オムライスには玉ねぎとほうれん草を小さく切っていれます。味噌汁は豆腐とわかめから、なめことあおさのりまで、その時々で工夫します。
息子は卵を割ることに興味があるので、卵は割らせてお手伝いをしてもらいます。はんぺんに海苔とチーズをのせてトースターで焼きます。息子は海苔とチーズを乗せてくれます。できたら、きちんとほめてあげます。
納豆のたれは開けるのが難しいのでかけてあげます。豆が散らかったら適度に片付けてあげます。牛乳がのみたいと言えば冷蔵庫から出して注いでやります。時々、ぬるめのホットミルクにもします。お茶はノンカフェインの焙じ茶にします。水で割って、ぬるくして薄めにします。白ご飯は毎日だと飽きるので、塩コブを混ぜたり、ふりかけをかけたり、ゆかりごはんにしたりします。時々、ねじねじパスタや焼きうどん等でペースチェンジもします。ごはんばかりじゃ、飽きますものね。

妻が8時過ぎに帰ってくると、必要あれば、温かい食事を作ってあげたりもします。冷蔵庫に残っていた白菜とツナでオイスターソースのあんかけ炒めを作ったり、小松菜と豚肉を白だしであっさり煮浸し風にしたり、湯豆腐のだしを取ったあとの昆布も使ってコンニャクとおあげの煮物を作ったり、ブロッコリとモヤシとニンジンとピーマンとキュウリを細かくして蒸し器で蒸して蒸し野菜にしたりします。ブリの切り身が安かった日は、私と息子で食べたあと、妻が帰ってきてからもフライパンで焼きます。作り置き用に、鶏肉のトマト煮を作ったり、オーストラリア産の安くて安全な牛肉で牛丼を作ったりすることもあります。時々、疲れた日はレトルトカレーになったりしますが、ちょっとした付け合わせは用意したいと思っています。

私は、妻が、私が子供の頃に慣れ親しんだ母と同じように母親らしくないことに、およそ半年の間、腹を立て続けていましたが、幸か不幸か、私は、食事を作ることや子どもの世話がまあまあ得意な範疇の男性であったために、そうした男性から、母性を備えた男性に変わることができたようです。私の妻は、私の妻のパーソナリティーを持つ妻であり、私たちの息子はまさしく私たちの息子であり、さまざまな周囲の環境のなかで、私たちはようやく、徐々に家族になっていくということを感じます。出会ってから10年以上、結婚してから6年、子どもが生まれてから3年、(合わないところがあるゆえに)お互いに変化をしなければなりませんでしたが、今回の半年間での私の変化は、これまでの変化の中でももっとも大きなものであったように思います。

いま思ったのですが、これは、私が、男性(男、こどもの男の子、おとなの男性、会社員、昔は恋人、今は夫、お父さん)という属性の他に、妻および母親としての属性を身に付けるプロセスだったように思います。
私は変化の時期を乗り越えることができましたが、簡単なように見えますが、案外、これは、誰にでもできる芸当ではないのかもしれません。
私は、ナチュラリイに、特殊能力を身に付けたスーパーお父さん、スーパーイクメン、否、もはやこれは、「父母(ふぼ)さん」「ととかあさん」「ぱま」または「まぱ」等の新ジャンルの男性として返信、転身、変貌を遂げた2016年の上半期だったと言えそうです。
23日に、ダイニングの座り位置を妻と入れ換えました。私の方が、台所寄りになり、それを象徴とするかのように、色々なものごとがちょうど落ち着いた調和の状態に整い始め、不思議と、快適になりました。
もはや、妻が仕事や作業に没入するあまり、率先して調理をしないことにさほど不満を感じはしません。それはごく自然だからですが。私はととかあさんであり、美味しい夕飯や軽い昼飯をさっと作ってしまうことがに身のこなしの中に取り入れられています。トレーニングを経て、家事育児は完全に私の能力の中にインストールされたため、そのことで自分が妻に使役されたという気持ちは起きにくくなっています。
どうやら、危機は、乗り越えられたようです。私は、バージョンアップしました、私は、どんどん、強くなります。我が家もバージョンアップしていきます。
毎日の積み重なりなのではっきりとは見えづらいのですが、明確に半年前の私とは異なる私がいて、半年前の我が家とは異なる関係性の我が家があります。
そうして、あと一ヶ月ほどで、今年も暮れていきますね。

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