151.クオンにて、日の出から田町へのタクシー

なりたかったものになれているか、
と、自らに問う 
いや、なれているのですか、と、新橋駅で降り際に問うてみてはどうだったかと、
散会のあとに、道で思う

しかし、なるものにしかなっていない
みな、自分のことが分からないほどの人たちではない
そこは、嗅覚で追いつめることができる
学究は学究として、勤め人は勤め人として、
それぞれの持ち場でそれぞれの
なるもの
になっている

関係性で仕事をするやりくりもあれば、
地位を先に得てしまうやりくりもある
ただ、自分のこととして一つ言えるのは

僕は、自分のやりたいことよりも、誰かの、世の中の、役に立つこと、

 モチベーションは教えられない 
 (あだちさんが、さとう先生からの言葉として)
だから、わたしは、自分以外のところにモチベーションを置く仕事を選んだのです。そして、だから、いま、平穏にいられる。

自分以外。他律。でもさ、言いなりはいやなの。他を淡く支える程度を好む。だからわたしのいまの仕事はよい。

でもさ、一回りして、誰かを治癒する仕事なら、もっと分かりやすかったかもね。そこは、若気の至り。自分がもっと自分勝手だと、おもっていた。

アートの仕事。本質的に、余暇的だね。人の根本に関わるからこそ、余暇的だ。
人の根本は金銭や時間でやりとりできない。だからこそ余暇的。
だからこそ、それで日々の糧を得ることと、祈りを持つ余暇と、重なることを、ふつうの大人はいづらくなる。
大人は、余暇をきちんと余暇として持ちたい。余暇のみで過ごすことに、後ろめたさがある。

そのように捉えるわたしは、いまのように、他を淡く支える仕事がよい。
役割は、勝手に外から届くことが清々しいのです。
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