138.都内で考え中

こういうのを読むと、ニューヨークでアーティストをしていても、東京でサラリーマンをしていても、決定的に差はなく、毎日を様々な用事や、楽しみや、面倒を、片付けつつ、暮らすことは、どこでも一緒なのかもしれないと思う。

東海岸に棲むという17年ゼミという地中で17年過ごすセミのことを考えて、17年前と考えると、21才でたしか実家でぶすぶすくすぶっていただけだから、そこから考えると、たいそう立派になったのだと思います。ほんとうに。
東京の大学に来て、白黒写真焼いたり陶器焼いたり中国絵画みたりギリシア陶器みたり京都でかわらけ投げたり奈良で正倉院宝物見たり、やけくそに色んなトーク聞いたり、ギャラリーやら絵巻物やら、オークションの本や、ヨメさんと会って、映画見て、熱海行って、旅行とかして、散歩しまくって、研究をしようかと思って、やはり違うと考え、えいやと就職をして、しまったやめたくなって、やめはしないで、それなりに環境には恵まれて、ちょっと仕事が好きになってきて、気づけば10年選手で、後輩に指導をしていたり、慣れた手つきで書類を確認したりしている。

かわいらしい息子さんがいて、もうすぐ2才で、妻が七夕飾りの笹を買って来る。ニューヨークの地下鉄のカーブの飽きない美しさについて語ることはできませんけれど、僕はそういう人生なのだと、感じることができます。
ひさしぶりに行った本屋(神楽坂)は、僕が本屋で働いていたころの本たちとはまたまったく入れ変わっていて、本は置いておくものではなく、時々キチンと捨てて入れ替えるべきものと知りました。
たいやきの耳は切り取って、あんこはときどき足してあげて、ようやく日々ぱりぱりのあっさりと明朗なたいやきがたいやきとして魅力的なものと映るのです。

何をいっているのか、筆先三寸。近藤聡乃さんをグーグル検索しようと思ったけれど、思いとどまって、顔を見るのはやめました。そういう、二十歳くらいの逡巡とか惑いとか、「なんとなく知らないでいるべきこと」を感覚のままに放置するといった貴重な感覚をたまには思い出さなければなりません。大人はすみからすみまで明朗にしてしまいますが、文学や芸術は、すみっこを昏いままのこしておくことで、ピザのかけらが詩情をはぐくむようなこともあることを信じています。
たのしもうと思えば、まだ僕はたのしもうとおもえることがたくさんあるようです。


ニューヨークで考え中

ニューヨークで考え中

  • 作者: 近藤 聡乃
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2015/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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