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165.柔軟に取り組む2018(平成30)年度上半期

3月。近ごろ。18日の日曜日、吉祥寺お氏。21日の春分の日、隅田川右岸大宮や氏。31日の土曜日、雑司が谷え家。本日24日、息子氏とふたり、飛鳥山公園、サクラ七分咲き。やすみの日に父子だけもあきるので、遊び相手を求めるような近ごろ。

土日にもつまが働いているかのような状況がつづく。おそらく、今年の上半期は続く。2年間がんばったけれど、あとどれくらいか、先が見えず、鬱とする。
進むも苦労、退くも苦労、いな、進むも過酷、退くもゼロ回答、というような堂々巡り思考となり、寝れぬ、キッチン、小丸椅子にて煙草2。酒をコップ。  
帰宅した妻が、疲れていないか、と珍しく聞きにくる。疲れて、いるのだろうか?
争わぬために、言葉は最低限にしつつ。
つまり、いつまで、続くのか、という不安。しかし、それは妻本人にもわからないこと。しかし、いま放りだすと、もっとも中途半端であることも、私は理解できる。けれど、いつまでかわからぬロードは、ささえ続ける体力配分のペースが見えず。つまり、不安。のかたちをとる。
話しつつ、言葉をえらび。
つまり、今年の上半期が重要、今年の上半期で今後の我が家は決まる
と直観する。
そのように、口にだして、言う。
必ずしも、始めたからといって、かならず全うしなければならないものではない。努力してかならず報われることが確約はされていない。いきづまったな、と思ったら、そこで終わりにする、引き返す、単なる会社員にもどる、ということだってできる。という意思疎通を確認する。相互に。
この上半期を経て、見えてきたものを持って、よって、その後のペースを再配置することにしたい。柔軟に。
妻は、くるまを買ってほしい、僕と息子のために。願う。

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164.ウォークアバウトからの解放

15年位前に、今はなき新宿テアトルタイムズスクエアで、漠然と見たオーストラリアの映画がよかったような記憶がしていた 
なにより、タイトルがよかった 
ポスターやビジュアルもよかった
この5年ほど何度もTSUTAYAでパッケージは眼にしていたが、このたび遂に、おそるおそる、たまたま目覚めた土曜の明け方4時から見る 

案外、ピンとこない 
そして、一シーンたりとも見覚えがない

見終えて、ようやく、劇場で見たときも、ピンとこない、なぜ名作のように喧伝されるのか、と不可解に思っていたような記憶がもどってくる うすうす予想はしていたのだが、15年の時間をかけた、ひとりリバイバル。

いま見なければ若気の至りで触れたミステリアスのままだったのだが、はっきりした(しかも40才の分別臭い)意識で見てしまったのでものごとが明るみになる 
もはや朦朧は朦朧のままとっておきたかった気持ちもしている むかし名作を見た淡い幸福感として 
しかし、半年か一年に一度くらいのペースで思い出す「あのウォークアバウトって、どんな映画だったっのかな」、「もしやいま見ると人生に影響するようなものだったとしたら」という、のどにひっかかったままのことがらは、1つ減った

それだけの、インターナルな出来事の記録。
日々の時間と生活の中で、何度もの心持ちの往復(思い出しては消えて、またたまに思い出して気にして)、その、こころのやり取りを行い、
ついに、自分への影響は少ないものごとと、関係を取り結ぶ必要のないことであったと確認を得ることがきちんと行われる。そのあいだの加齢と、時の流れがあった記録。

ずっと気にしていた割には、6~7割がた予想していたように、この映画が、自分にとってそれほど大きなできごとにならなかったことを、こまかく記録することに精をだすという、本末転倒な行為。
「カルト的名作!」が、単に「名作!」とら言い切れない腰の弱さを持つことを既に知る40才と、他人にそう言われたら、そうかもしれない面白いと思わなければならないのか、と、よろめき、なびく、まだ目の養いきれていない25才(2004年)のわたし。
でも、そんな手当たり次第な頃もなつかしい。

5時半、妻が起きてくる 面倒な経緯は略して
さっき、夜中に映画見たよ、15年前にみたやつ 
ふーん

こうした微温的な出来事とは無関係に、今日10/14は4才の息子の運動会(雨だが、体育館で)

ニコラスローグ「美しき冒険旅行 ウォークアバウト」(1971)

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163.すっかり昔の映画

最近なかなか映画を見られないけれど、
秋だからか、10.12朝のメトロで思い出した映画。
すっかり、一昔まえ。
新作が出ていること、調べてみたり、したり、しなかったり、すること。

西川美和「ゆれる」2006
井口奈己「人のセックスを笑うな」2008
イオセリアーニ「素敵な歌と舟はゆく」1999、「月曜日に乾杯!」2002
クストリッツァ「ライフ・イズ・ミラクル」2004
フランソワ・オゾン「スイミングプール」2003
ジャ・ジャンクー「世界」2004、「長江哀歌」2006
ニコラ・フィリベール「僕の好きな先生」2002
ソクーロフ「エルミタージュ幻想」2002
ポール・トーマス・アンダーソン「パンチドランク ラブ」2002
ウディ・アレン「マッチポイント」2005、「それでも恋するバルセロナ」2008
ニコラス・ローグ「美しき冒険旅行 Walk About」1971
ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」1973
マノエル・ド・オリヴェイラ「夜顔」2006
マルグリット・デュラス「インディア・ソング」1975
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162.ART SCAPE SCAPE 171001

162.ART SCAPE SCAPE 171001
久しぶりだなと思ったら「154.ART SCAPE SCAPE 160918」以来ほぼちょうど一年ぶり。忙しい訳です。年に一度の年中行事になりつつある。秋になるとよき展示が増えてそわそわするというメカニズムですね。土曜日の朝4時、目が覚めて、一週間で得られる、ほぼ限られた自分のためだけの時間帯。9月の韓国出張で買ったあじさいのお茶(消化器によいとか頭がさえるとか)を飲む。

 ●は必須。○は行けたら…。◆はおでかけ先として。

●杉戸洋 とんぼ と のりしろ ~10月09日 都美
シャガール 三次元の世界 ~12月03日 東京ステーションギャラリー
エクスパンデッド・シネマ再考 〜10月15日 都写美
驚異の超絶技巧! —明治工芸から現代アートへ— 〜12月03日 三井記念美術館
江戸の琳派芸術 ~11月05日 出光美術館
済:「そこまでやるか」壮大なプロジェクト展 ~10月01日 21_21 DESIGN SIGHT
ほとけを支える —蓮華・霊獣・天部・邪鬼— ~10月22日 根津美術館
ケ・ブランリ・トウキョウ 異邦の至宝—砂漠の民のトライバル・ジュエリー 〜2018年01月21日 JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク
○フィンランド独立100周年記念 フィンランド・デザイン展 〜10月22日 府中市美術館
●知られざるスイスの画家 オットー・ネーベル展 ~12月17日 Bunkamuraザ・ミュージアム(前売券購入済)
和田誠と日本のイラストレーション ~10月22日 たばこと塩の博物館
池田学展 The Pen—凝縮の宇宙— ~10月09日 日本橋タカシマヤ
○ウィンザーチェア —日本人が愛した英国の椅子 ~11月23日 日本民藝館
かみ コズミックワンダーと工藝ぱんくす舎 ~10月22日 資生堂ギャラリー
◆開館40周年記念 Ⅲ ちひろの詩(うた)—絵は詩のように—/奇喜怪快 井上洋介の絵本展 ~11月05日 ちひろ美術館・東京
重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎 ~11月26日 永青文庫
○日本・デンマーク 外交関係樹立150周年記念 日本とデンマーク —文書でたどる交流の歴史 ~2017年11月05日 国立公文書館
東京発掘 江戸っ子のくらしと文化 ~2018年03月11日(通年展示) 東京都埋蔵文化財センター
●浅井忠の京都遺産—京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション ~2017年10月13日 泉屋博古館 分館
○三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館 2017年10月07日~2017年11月26日 渋谷区立松濤美術館
木のおもちゃ20作家展 ~2018年02月04日 東京おもちゃ美術館
渋沢栄一、パリ万国博覧会へ行く 第2期 ~2017年12月10日 渋沢史料館
○小泉文夫とシルクロードの音楽展 ~12月24日 民音音楽博物館
組版造形 白井敬尚 ~2017年11月07日 ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
近代日本の画家たちが描く歴史画展 ~10月22日 講談社野間記念館
○開館30周年記念 日本パステル畫事始め展 ~2017年11月26日 目黒区美術館
届かない場所 高松明日香展 ~2017年10月22日 三鷹市美術ギャラリー
●超絶記録!西山夘三のすまい採集帖 ~2017年11月25日 LIXILギャラリー
モノの力・ヒトの力—縄文から現代まで 人と工芸の間にやどるチカラ— ~10月09日 國學院大學博物館
○単色のリズム 韓国の抽象 ~12月24日 東京オペラシティ アートギャラリー
高雅典麗 中国陶磁コレクション/松岡コレクション 屛風と掛軸 大画面の魅力・多幅対の愉しみ ~2018年01月21日 松岡美術館
○シェードの奥の懐古の明かり ガス燈展 ~10月09日 ガスミュージアム
所蔵第一高等学校絵画資料修復記念 —知られざる明治期日本画と「一高」の倫理・歴史教育— ~12月03日 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館
○大辻清司・高梨豊 —写真の「実験室」と「方法論」— ~10月12日 東京造形大学附属横山記念マンズー美術館
◆日本のアニメ100周年展 Part1 うたとダンスとアイカツスターズ! ~2018年01月14日 杉並アニメーションミュージアム
◆デビュー30周年記念 いとうひろし展—みつけよう、わくわくのタネ
~10月15日 石神井公園ふるさと文化館 分室
◆昭和叙情・心のふるさと 谷内六郎作品展 2017年09月16日~2017年11月05日 青梅市立美術館/青梅市立小島善太郎美術館
○辰五郎と滋の見た 明治の衣生活大転換 2017年10月19日~2017年11月24日 東京家政大学博物館
en[縁]:アート・オブ・ネクサス 第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館帰国展2017年09月28日~2017年12月10日TOTOギャラリー・間
○20周年記念家電のある生活展—暮らしのデザインミュージアム20172017年09月18日~2017年10月15日世田谷文化生活情報センター 生活工房

千葉
フェリーチェ・ベアトの写真 人物・風景と日本の洋画2017年09月09日~2017年12月03日DIC川村記念美術館
●「1968年」—無数の問いの噴出の時代—2017年10月11日~2017年12月10日国立歴史民俗博物館
なつかしの街並み—明治・大正・昭和の大多喜—2017年10月20日~2017年12月03日千葉県立中央博物館 大多喜城分館
ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信2017年09月06日~2017年10月23日千葉市美術館

埼玉
◆秩父鉱山~140種の鉱山のきらめき~2017年09月23日~2018年01月14日埼玉県立自然の博物館
◆空想の旅人 アンデルセン展2017年08月26日~2017年10月22日狭山市立博物館
◆Made in Asaka 丸沼芸術の森 若手アーティストたち(仮)2017年09月30日~2017年10月22日朝霞市博物館
○マジカリアル~VR・ARが作り出す不思議体験~2017年09月16日~2018年03月11日彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアム

神奈川
100点の名画でめぐる100年の旅2017年10月01日~2018年03月11日ポーラ美術館
ヨコハマトリエンナーレ2017 「島と星座とガラパゴス」2017年08月04日~2017年11月05日ヨコハマトリエンナーレ
ぼくとわたしとみんなの tupera tupera 絵本の世界展2017年09月09日~2017年11月05日横須賀美術館
ホノルル美術館所蔵ハワイアンキルト展 Across The Ocean2017年09月10日~2017年11月05日茅ヶ崎市美術館
○鈴木康広 始まりの庭2017年08月05日~2018年02月25日彫刻の森美術館
YCC Temporary チェ・ジョンファ2017年10月15日~2017年11月05日YCC ヨコハマ創造都市センター
開館40周年記念所蔵名品展 馬の美術150選 —山口晃「厩圖(うまやず)2016」完成披露—2017年09月09日~2017年10月29日馬の博物館
○日産アートアワード20172017年09月16日~2017年11月05日BankART Studio NYK
実物のない展示会~自然科学と二次資料〜2017年07月15日~2017年11月05日横須賀市自然・人文博物館
◆リスペクト(仮)2017年10月01日~2017年12月10日鎌倉文学館

山梨
◆西村豊 八ヶ岳 生きもの ものがたり2017年07月01日~2017年12月03日清里フォトアートミュージアム
◆安野光雅展2017年10月07日~2017年12月03日南アルプス市立美術館
◆コレクション展 富士山いろいろ 2017 秋2017年09月02日~2017年10月22日河口湖美術館
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161.バーボンハイボール五月

そう、母の愛は無償の愛とおっしゃいますが

しかし、我が家では、
父の愛は大盤振る舞い
母の愛は水準高値で推移する

おおいに値引きをねだったけれど
高い愛には高値なりのありかたがあり
じゃんじゃん溢れる愛にもその立ち姿があり

足りないところを補って
わたしら毎日暮らします

五月の夜、
半袖一枚キッチンにて
愛を束ねてさらさらと
父はバーボンハイボールで謳うのです

20170509 23:57

160.デザインの展示がなぜ面白くないのかに関する(素朴な)考察

デザインの場合、物を展示するのではなく、価値を見せなければならない。
絵画や彫刻の展示とは根本的に質的な違いがある。

例えば、絵画であれば、
・目に見えるストーリーとして、色彩、タッチ、画法、
・モチーフについて、人物か、風景か、室内か、静物か、
・場所について、どの場所か、どのような風景か、
絵を見るだけで、少なくともこれくらいの視覚的印象を受け取ることができる。
(外形価値)
さらに、専門家の視点を少し加えれば、
・時代について、いつ描かれたか、
・技術的なストーリーとして、画材、顔料、支持体
・作家について、誰が画家か、どのような人物か、
・スタイルについて、その時代において、どのような画風が流行していて、その上でこの絵画のどの点が独創的か
といった点を背景として、絵画を読み、楽しむことができる。
(背景価値)

しかし、デザインの場合(この場合、主にプロダクトデザインを想定している)、単にプロダクトを陳列し、キャプションをつけるだけでは、こうした効果までは生まれない。

1980年代の日本製のラジカセが1台目の前にあった時、外形的に、色が可愛い、形状が変わっている、他のものに比べてユニーク等の特徴があれば、絵画と同じような外形的価値を受け取ることができるが、そうでなければ、多くの人が取り得る反応は、
・懐かしい、これ持ってた
・昔、家にあった
というノスタルジックで内発的な背景価値を受け取る程度に過ぎない。
一般的な観客が、当時のラジカセの技術面を知ることはできないし、よほどのオーディオマニアでなければ、その特徴を楽しめることはない。デザイナーが明確でない、またはデザイナー自体が誰かという点に大きな価値が生じない企業製品の場合、画家のような人物への愛好を楽しむこともできない。スタイルについても、当時のラジカセの主流・傍流を知っている人は極めて少ないため、潮流を知らない限り、目の前の製品と潮流との対比を楽しむこと(≒知的好奇心の刺激)に繋がらない。
また、これはプロダクトデザイン特有の現象だが、ラジカセは音楽を再生して使って楽しむものであり、そもそも使用することに最大の価値があるプロダクトから、使用価値を奪って見るだけのサービスしか提供できない「展示」には非常に大きなビハインドがある。
こうした点において、プロダクトデザインを展示し、その上で観客を楽しませ、知的興奮を与え、満足感を得させることはなかなか難しい。
そして、そのためには、プロダクトデザインのこうした特色を逆手にとって、展示のための工夫や仕掛けを考え出さなければならない。

つまり、デザインの場合、物を展示するのではなく、価値を見せなければならない。

外形価値を増大させるための方法としては、例えば、以下のようなものが考えられる。
・多数のプロダクトを並べる
・様々な色彩のプロダクトを混ぜ合わせる
・配列や並べ方を工夫する
(壁や天井に取り付ける、リズミカルな配列にする、宙づりにする、ケースに入れる、ベルトコンベアで動かす、ターンテーブルで回転させる、透明なエレベータに入れる(例:名古屋国際デザインセンターIdcN))
・巨大なものを多く並べる
・極めて小さなものだけを集めて並べる
・カットモデルをつくる
・光をあてて形状に陰影を与える
・いっそ、梱包してしまう
・なんなら、破壊する
これは、考えていくと、ウィンドウディスプレイ、ディスプレイデザイン、空間デザイン、店舗デザインの手法に近づいていくようだ。やはり、出自が商品なだけはある。見映えよく並べてやると、魅力が向上するように見えるのだ。

背景価値を容易に読み解けるようにするための方法としては、例えば、以下のようなものが考えられる。
・複数のプロダクトを組み合わせて、生活の使用状態を再現する
(椅子、テーブル、テレビ、ソファから1970年、1980年、1990年の一般的なリビングを再現する)例:福井県立博物館、国立民俗学博物館(佐倉)
・建築ごと再現する
・プロダクトの発展段階を系統樹のように展示する
・作ったデザイナー・商品企画(当事者)の証言を加える
・デザイナー・商品企画(当事者)に創作のポイントを説明してもらう(説明文を加える)
・製造工程の写真や映像を流す
・当時のPR映画や商品CMを流す
・当時のパンフレットや広告を併置する
・競合商品と並べる(どちらがどれくらい売れたか販売データや価格を示す)
・商品が販売されていた店頭の写真や映像を加える
・販売時のエピソードを加える
・社会に与えたインパクトや社会現象、その製品が変えたライフスタイルを説明する
・その製品の環境価値や経済価値を説明する
・製品が使用されていた当時の社会インフラの状況を説明する
・実際に使っていた人のコメントや使用時の写真・映像を加える
・当時、そのプロダクトを使っていた著名人の写真・映像・エピソードを加える
・こうした説明をしてくれる語り部を随伴させる(デザイン・アテンダント)
・いっそ、その場で使えるようにする
・なんなら、買えるようにする
これも、考えていくと、広報戦略やブランディングと若干似通ってくるから面白い。

繰り返しとなるが、デザインの場合、物を展示するのではなく、価値を見せなければならない。
絵画や彫刻の展示とは根本的に質的な違いがある。

デザイン特有の展示手法を考えなければ、単に美術館だから物を並べればよいと考えていると、それは非常に退屈な空間を垂れ流すことになる。
やや語弊はあるが、ワンオフでそのものの価値が元から高い芸術作品に対して、マスプロダクションにより手に取りやすくどこにでもあるものとして流通していたプロダクトデザインは、その一製品が目の前に存在していることだけで大きな価値が生じるものではない。
むしろ、なぜその製品がそこに生じているか、その製品の価値がなんだったのか、観客に見えやすく咀嚼して紐解いて抽出する必要がある。
それが、専門職スタッフの腕の見せ所であるし、プロダクトやデザイナーや企業や、当時それを使っていた人や、いま目の前にいる観客に対するプロフェッショナルとしての配慮である。

159.20170324関西メモ

-金魚百貨店 シャープミュージアムの訪問記(写真豊富なブログ)
http://ameblo.jp/kingyodept/entry-12182222407.html

-大阪企業家ミュージアム 
関西の企業ミュージアムリンク集

-「くらしを伝えるかたち」
(インダストリアルデザインアーカイブズプロジェクト国際シンポジウム)
バウハウスアーカイブとロンドンデザインミュージアムのキュレーター来場

-みんぱく(万博記念公園)
-パナソニックミュージアム(守口)
-竹中道具館(新神戸)

番外(備忘)urakiさん
-愛知県 西尾市岩瀬文庫
古書専門のアーカイブ
なんとなく、気になっていて。名古屋から電車で一時間ほど東京方面に戻った場所。

概観読んだが江戸以前の本が中心。
古書収集家の西尾弥助という人物が明治41年に興した私設図書館がルーツ。

近代好きにはピンと来ないが、地方ではなかなかの施設。本流紙系アーカイブズ的には興味津々かと思われました。

昭和11年に岩瀬本人により作られた目録。函番号など今でも使用されているそう。すごい。
岩瀬文庫目録

158.東芝

東芝があのようなことになってしまい、係累に東芝関係の人間はいませんが、なんというか、ご先祖様に申し訳ないような胸の痛い気持ちになる、残念な夜半4時 
電球、扇風機、冷蔵庫、掃除機、電器釜、洗濯機 
なぜこの歴史をアメリカの原発事業などで、と

東芝一号機ものがたり

157.ととかあさん2

3時半、目が覚める
洗濯乾燥機から洗濯物を取り込む
台所のタオルがしめっていたので替える
食べ残しの鍋の最後のカレーを胃袋に始末する
残っていたホワイトソースをトースターでグラタンに焼く
昨夜水に浸したハッピー豆を茹でて朝の息子に食べさせようと思う
鍋の片付け 
流しの掃除
コーヒーとカレー
私のまめまめしさ、家事をそれなりに得意とすること
祖母の声がよみがえる
「あんたはまめろしいのう」「嫁さんになるひとはたいへんじゃ」
ばあちゃん、それ、当たってたかもしれない。でも、半分当たって、半分はずれてたかな。
まめろしさは、いまの妻と暮らすときに、こちらもととかあさんになれる才覚。ご先祖さまから頂きました。
まめろしさは、いまの妻と暮らすときに、ともすれば、妻を先回りして追い詰める締め付けにもなること。
まめろしさを、押し付けず、空気のよう振る舞えるようになれば、家はもっと暮らしやすくなるでしょう。
まめろしさを、さも当たり前に振る舞うこと。はーい、やっといたよ、と。
こんなにまめに働いているのだぞ、それに比べてお前はなんだ、散らかすな、片付けろ、食べ物の品数を増やせ、冷蔵庫の不用品を始末せよ、使わないものを買うな、書類を台所に置くな、といった、間違いではないが聖人君子的な態度は、いったん矛先をおさめるのです。そっと、見守るのです。
20170215明け方のことば

156.ぼくは兼業正社員

ぼくは兼業正社員

専業主婦という言葉があるのなら、専業正社員という言葉もあっても良いのではないか
専業主婦という言葉には、どこか見下したニュアンスがある
正社員という言葉には、仕事だけをやっていてよい男の聖域が感じられる

「やっぱり、男は仕事よ」「やっぱり、男は仕事に生きなきゃ」という言説

仕事を100%でできないストレス フラストレーション
120%の仕事を求められるストレス フラストレーション

より、正しく(より、小賢しく)言えば、
兼業主婦もやっているので、兼業正社員では、正社員の仕事を100%の力でできないストレス フラストレーション
専業主婦に家の仕事をアウトソーシングしているので、専業正社員の男から120%の仕事を求められる兼業正社員のストレス フラストレーション
家の仕事との兼業正社員なので、どこで手を抜くかを考えて正社員の仕事を7割の力で100%の専業正社員風に見せる努力と能力(評価されない)
それでいて100%風に見えないときに見下されるストレス フラストレーション
見下されているのに、それに気づかないふりをして笑顔でいるストレス、フラストレーション

ぼくは兼業正社員
おうちの仕事もしているよ
かいしゃの仕事もしているよ
ぼくは我が家の兼業主婦

関係閣僚のみなさんの中で、お皿を洗っている方はいますか
挙手願います
関係閣僚のみなさんの中で、帰宅後の深夜に洗濯機を回している方はいますか
挙手願います
関係閣僚のみなさんの中で、週末の土曜に3歳の子どもの子守りをしている方はいますか

関係閣僚のみなさんの中で、自宅の冷蔵庫の野菜室に入っているのがレタスとエノキと人参ともやしと山芋と2週間前に買ったままの大根1/3であると知っている方はいますか
関係閣僚のみなさんの中で、土曜の朝には息子とホットケーキをつくっている方はいますか
関係閣僚のみなさんの中で、夕飯のレシピを考えながら帰りの電車に乗っている方はいますか

関係閣僚のみなさんの中で、食後の食洗機をかけつつ、風呂入れボタンを押しつつ、息子をトイレに連れていって、ついでに脱衣所の保育園バッグから洗濯機に息子の洗濯物をさばいて、息子のトイレが終わったら手洗いをさせてあげて、風呂のお湯の温度の様子を見ている方はいますか

言われてやっているうちは家事とは言わないそうですよ
お皿洗ってくれない
しぶしぶ洗う
おとうさんありがとう! 
株上がる
なんてイージーな世界の住人はおとといきやがれこのボッケなす

平日に週4回、保育園のお迎え、買い出し、夕飯、風呂入れ、寝かしつけをしている方はいますか

定時に退社、走って駅に行き、自転車でお迎え、スーパーで買い出し、夕飯の支度、軽食を出して先に食べさせる、自分も少し食べる、徐々に子どもにご飯や主菜を作って出す、ついでに自分も食べる、「うんちーー」と言われ連れていく、自分もさらに食べる、ようやく食べ終わる、風呂わかし、食器洗い、もちろん食洗機も使う、こどもとちょっとだけ遊ぶ、遊びの流れから機嫌をとり風呂いれ、風呂で壁に貼った数字を読む、平仮名を読む、10かぞえてあがるよー、着替え、一方で脱衣所で洗濯機を回す、保育園から持ち帰った服をさばいて入れる、歯磨き・じぶんでさせるよう仕向ける、さあ、お布団にいこう、絵本を選んで、1冊か、足りなければ2冊読んで、もっと読んで、いやいや、だめだよ、もう寝るよ、電気を消すよ、寝かしつけ、寝かしつけ、、、寝てしまう
をしている方はいますか

もうすこしディティールを加えますと、

保育園でお迎え
くつしたを自分ではかない、靴をはかない、帰りたくないとだだをこねる、玄関先まできたのにふざけて教室に戻ってしまう、廊下のともだちのお名前をすべて読みあげてからでないと帰らないと言う、絵本を借りて帰りたいと言う、先生のお写真の名前を読み上げたいと言う、手すりのしたをくぐり抜けていくと言う、ブロックの上から9回ジャンプしてから帰ると言う、自転車には乗らないと言う、
子連れでスーパー
自転車から降りない子ども、銀杏を買うと言い張る子ども、ゆで卵を割ろうとする子ども、納豆を手から離さない子ども、柱の影からこっちを見てうふうふ笑って隠れる子ども、チーズ入りはんぺんを買うと泣く子ども、走り回ってレジのところに中々来ない子ども、を制しながら片手で夕飯の買い出し、
家への帰路
自転車に乗せて帰って、帰る途中に駐車場の看板を読まなかったからといってかんしゃくを起こして自転車の子どもシートから降りない子ども、無理矢理おろしたら玄関先でかんしゃくのまま寝転がって泣き続ける子ども、放っておいたら、玄関先から「おしっこーー」と呼ばれる父
夕飯の支度・・・(以下略)

をしている方はいますか

ぼくは我が家の兼業主婦
かいしゃの仕事もしているよ
ぼくは兼業正社員
おうちの仕事もしているよ

火曜逃げ恥最終話の録画を水曜残業後の24時から見たお父さんが木曜明け方午前5時15分に目覚めて書いた人生の記録20161222AM6:06

155.ととかあさん

変化には痛みがともなう。

日曜午前11時50分、子どもと一緒にスーパーに出掛けた帰り道、くるまのハンドルを切った瞬間、ふと、そうしたフレーズが浮かびました。

私の母は、九州の女性でした。専業主婦です。
私の母は、子どもを育てていました。
私の母は、子どもが食べたそうな時、自分のおかずをくれました。
私の母は、子どもを叱りましたが、多くの場合、それは怒りではありませんでした。
私は母が若い頃、自分のしたいことをしているところを見たことがありませんでした。

私は、同じく九州の人間です。私は仕事をしています。
私は、父ですが、子どもを育てています。
私は、父ですが、子どもにおかずを差し出します。
私は、父ですが、子どもを叱ります。
私は、父ですが、近頃は、自分のしたいことが、子どもとしたいことになってきました。(以前は、もっと、自分の勝手がありました。)

私は、父です。
今年の四月から、母もやっています。

夕方、保育園に息子を迎えにいき、スーパーマーケットで食材を買い、夕御飯をつくり、一緒に食べています。食材は、バランスを考えます。価格も、なるべく押さえます。息子と一緒に作れるものも考えたりします。
オクラをゆでます。惣菜のメンチカツを一口大に切ります。親子丼にはニンジンを千切りにして混ぜます。オムライスには玉ねぎとほうれん草を小さく切っていれます。味噌汁は豆腐とわかめから、なめことあおさのりまで、その時々で工夫します。
息子は卵を割ることに興味があるので、卵は割らせてお手伝いをしてもらいます。はんぺんに海苔とチーズをのせてトースターで焼きます。息子は海苔とチーズを乗せてくれます。できたら、きちんとほめてあげます。
納豆のたれは開けるのが難しいのでかけてあげます。豆が散らかったら適度に片付けてあげます。牛乳がのみたいと言えば冷蔵庫から出して注いでやります。時々、ぬるめのホットミルクにもします。お茶はノンカフェインの焙じ茶にします。水で割って、ぬるくして薄めにします。白ご飯は毎日だと飽きるので、塩コブを混ぜたり、ふりかけをかけたり、ゆかりごはんにしたりします。時々、ねじねじパスタや焼きうどん等でペースチェンジもします。ごはんばかりじゃ、飽きますものね。

妻が8時過ぎに帰ってくると、必要あれば、温かい食事を作ってあげたりもします。冷蔵庫に残っていた白菜とツナでオイスターソースのあんかけ炒めを作ったり、小松菜と豚肉を白だしであっさり煮浸し風にしたり、湯豆腐のだしを取ったあとの昆布も使ってコンニャクとおあげの煮物を作ったり、ブロッコリとモヤシとニンジンとピーマンとキュウリを細かくして蒸し器で蒸して蒸し野菜にしたりします。ブリの切り身が安かった日は、私と息子で食べたあと、妻が帰ってきてからもフライパンで焼きます。作り置き用に、鶏肉のトマト煮を作ったり、オーストラリア産の安くて安全な牛肉で牛丼を作ったりすることもあります。時々、疲れた日はレトルトカレーになったりしますが、ちょっとした付け合わせは用意したいと思っています。

私は、妻が、私が子供の頃に慣れ親しんだ母と同じように母親らしくないことに、およそ半年の間、腹を立て続けていましたが、幸か不幸か、私は、食事を作ることや子どもの世話がまあまあ得意な範疇の男性であったために、そうした男性から、母性を備えた男性に変わることができたようです。私の妻は、私の妻のパーソナリティーを持つ妻であり、私たちの息子はまさしく私たちの息子であり、さまざまな周囲の環境のなかで、私たちはようやく、徐々に家族になっていくということを感じます。出会ってから10年以上、結婚してから6年、子どもが生まれてから3年、(合わないところがあるゆえに)お互いに変化をしなければなりませんでしたが、今回の半年間での私の変化は、これまでの変化の中でももっとも大きなものであったように思います。

いま思ったのですが、これは、私が、男性(男、こどもの男の子、おとなの男性、会社員、昔は恋人、今は夫、お父さん)という属性の他に、妻および母親としての属性を身に付けるプロセスだったように思います。
私は変化の時期を乗り越えることができましたが、簡単なように見えますが、案外、これは、誰にでもできる芸当ではないのかもしれません。
私は、ナチュラリイに、特殊能力を身に付けたスーパーお父さん、スーパーイクメン、否、もはやこれは、「父母(ふぼ)さん」「ととかあさん」「ぱま」または「まぱ」等の新ジャンルの男性として返信、転身、変貌を遂げた2016年の上半期だったと言えそうです。
23日に、ダイニングの座り位置を妻と入れ換えました。私の方が、台所寄りになり、それを象徴とするかのように、色々なものごとがちょうど落ち着いた調和の状態に整い始め、不思議と、快適になりました。
もはや、妻が仕事や作業に没入するあまり、率先して調理をしないことにさほど不満を感じはしません。それはごく自然だからですが。私はととかあさんであり、美味しい夕飯や軽い昼飯をさっと作ってしまうことがに身のこなしの中に取り入れられています。トレーニングを経て、家事育児は完全に私の能力の中にインストールされたため、そのことで自分が妻に使役されたという気持ちは起きにくくなっています。
どうやら、危機は、乗り越えられたようです。私は、バージョンアップしました、私は、どんどん、強くなります。我が家もバージョンアップしていきます。
毎日の積み重なりなのではっきりとは見えづらいのですが、明確に半年前の私とは異なる私がいて、半年前の我が家とは異なる関係性の我が家があります。
そうして、あと一ヶ月ほどで、今年も暮れていきますね。

154.ART SCAPE SCAPE 160918

おひさしぶり、そして簡略に。
9月の朝、三連休、日曜日。
妻子はまだ寝ている。甘めのコーヒーにミルクを落とす。
息子が3歳になるので、大きな救急車のおもちゃを買いに行く日。
のりもの図鑑NEOも贈呈するのであること。幸。

★シーボルト展 江戸博 -1106
日本の自然を世界に開いたシーボルト 科博 -1204
★オランダのモダン・デザイン リートフェルト/ブルーナ/ADO オペラシティ -1123
土木展 21_21 -0925
アイノ・アールト ギャラリーA4 -1031 
★杉本博司 写美 -1113
ギリシア美術 東博 -0919
ジュリアマーガレットキャメロン 三菱一号美 -0919
ボルタンスキー 庭園美 0922-1225
トーマス・ルフ 近美 -1113
クラーナハ 西洋美 1015-0115
仙涯 出光 1001-1113
パンと昭和 昭和のくらし博物館 -3月
芸術写真の時代 塩谷定好展 三鷹市民ギャラリー -1023

★2016年度グッドデザイン賞 大賞候補展
会場:GOOD DESIGN Marunouchi
会期:2016年09月29日~2016年10月23日

153.落ち着こう、わたし、タトル

ばかたれが、とか、好かん、くそったれ、とか、怒気をはらむてらいのない独り言が増えてきた

寸前だな、これは
と考えた

逆方向に、リチャードタトルを知る
落ち着こう、わたし

152.みずがのみたい

すっかりいやんなっちゃって
39度でた
したいこと、したいな
おもいながら うつうつ
36.8度が出勤
13年前の木の作業が気をひいて
おもいがけずつるつるしゃべって上機嫌

けずる作業
かんなをかける作業

あみものと近いですよ
ストレス解消になります

彫刻刀で仏像を彫る
墨をする
書道
写経

とそこまでいって、

べつに時刻表かきううつしててもいいんだよね 新宿、新大久保、高田馬場とか
どうせなら北軽井沢とかがいいかな、北海道はどうでしょう


そういうように ことに
するようにしたいと思います自分のことに遠慮しません
発熱以来久しぶりに白昼夢がみられるようになりました イロイロなストーリーがはしる
そうまたたのしみたいのです

ね、みて、みんな森だよ 庭にひろがっているよ
偶然、全く同時に、ご近所さんが一斉にオナジタイミングで出かけた奇跡的ないちにちのはじまり

みずがのみたい。

151.クオンにて、日の出から田町へのタクシー

なりたかったものになれているか、
と、自らに問う 
いや、なれているのですか、と、新橋駅で降り際に問うてみてはどうだったかと、
散会のあとに、道で思う

しかし、なるものにしかなっていない
みな、自分のことが分からないほどの人たちではない
そこは、嗅覚で追いつめることができる
学究は学究として、勤め人は勤め人として、
それぞれの持ち場でそれぞれの
なるもの
になっている

関係性で仕事をするやりくりもあれば、
地位を先に得てしまうやりくりもある
ただ、自分のこととして一つ言えるのは

僕は、自分のやりたいことよりも、誰かの、世の中の、役に立つこと、

 モチベーションは教えられない 
 (あだちさんが、さとう先生からの言葉として)
だから、わたしは、自分以外のところにモチベーションを置く仕事を選んだのです。そして、だから、いま、平穏にいられる。

自分以外。他律。でもさ、言いなりはいやなの。他を淡く支える程度を好む。だからわたしのいまの仕事はよい。

でもさ、一回りして、誰かを治癒する仕事なら、もっと分かりやすかったかもね。そこは、若気の至り。自分がもっと自分勝手だと、おもっていた。

アートの仕事。本質的に、余暇的だね。人の根本に関わるからこそ、余暇的だ。
人の根本は金銭や時間でやりとりできない。だからこそ余暇的。
だからこそ、それで日々の糧を得ることと、祈りを持つ余暇と、重なることを、ふつうの大人はいづらくなる。
大人は、余暇をきちんと余暇として持ちたい。余暇のみで過ごすことに、後ろめたさがある。

そのように捉えるわたしは、いまのように、他を淡く支える仕事がよい。
役割は、勝手に外から届くことが清々しいのです。
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